オンライン診療でも受動的医療になりうる

私は病気の本質は自身の持つ身体システムの過剰適応/消耗疲弊にありとの考えに至り、

病気を根本から治すには患者自身が主体的に行動するより他にはないという「主体的医療」を提唱し、

そのためのツールとして医師への依存性を環境的に減らし、患者の主体性を高める環境を作りやすい「オンライン診療」という形式で医療を提供するスタンスをとり続けています。

しかしとある方に指摘されました。「たがしゅう先生が勧める内容に患者さんが従うことも受動的医療になるのではないですか?」と。

これは私は痛い所をつかれました。確かにその通りなのです。

医者のアドバイスが病院からであろうと、オンラインからであろうと、

患者がその判断に妄信的に従っている状況にあれば、それは構造上「オンライン診療で受動的医療を展開している」ということになると思います。それは私の目指す所ではありません。

一方で同じ方から「医師からの説明を受けて納得して西洋薬の処方を受けることや、あるいは手術も納得して受けるということであれば、それも主体的な選択になるのではないか」というご指摘も受けました。

つまり「主体的医療になるか、受動的医療になるかというのは病院かオンラインかによって決まるのではなく、医師と患者の関係性によって決まるのであって、場所や方式は問題ではない」というご意見です。それも確かにその通りだと思います。

患者本人が医師の助けを借りながら自分の頭で考えて判断した結果であれば、内容の如何に関わらず、それは主体的な選択です。

例えば私は糖質制限推進派の医師ですが、ある患者さんがベジタリアンであって私の糖質制限推奨の理由をお伝えした上でそれでもベジタリアンスタイルを続けるようならそれも立派な主体的医療です。

糖質制限をしていないからといって、それが主体的医療ではないということにはなりません。

ただ主体的に判断した事であれば、自分の体調というものをベースにその判断は常に見直すことができる環境にあると思っています。

例えば熟考の末に西洋薬を飲み続けることが自分にとって最善だと医師の助言を受けつつも自分の頭で考えてその判断を下したのであれば、その時点では主体性の強い主体的医療が展開できていると思います。

しかし、もしもそのような医療を受け続けて自分の体調が次第に悪くなってきた場合に、本当に主体的な判断が出来ているのであれば、適宜自分の判断を見直すことができるはずです。

もしそれが出来なくなっているというのであれば、主体的医療でスタートしたはずの医療がいつの間にか受動的医療に移行してしまっているか、もしくは病状が徐々に悪化することも全て受け入れて主体的な選択だと捉えているかのどちらかになると思います。

主体的医療がうまく進められているかどうかの最大の判断基準は「満足のいく人生が送られているかどうか」という所にあると私は考えています。

自分の頭で考えて下した決断を繰り返し続けていれば、理論上は必ず自分の望む方向へと進んでいくことができるはずです。

ところが同じ主体的な選択であっても、投薬や手術は他人がコントロールする割合が多い、すなわち受動性の高い選択肢です。

自分で決断したことであっても、結局はその実権は他人に握られてしまっているという構造になると、主体的医療が受動的医療化するリスクを抱えることになりますし、

そのような主体的選択は人生の後悔を生み出す温床になると思うのです。

対して食事療法やストレスマネジメントはかなり主体性の高い選択肢になると思います。なぜならばその行動変化は基本的に自分で起こすものであり、他人によって規定される要素は少ないからです。

つまり主体的医療を実践するためには主体性の高い選択肢が十分に準備されている必要があるということです。

病院医療では受動性が高い選択肢ばかりが立ち並ぶ中で、主体的医療の選択肢が提示されたとしても、自分で考えずに他人に任せることができる受動性高めの選択肢に目移りしてしまう人は多いのではないかと思います。

だから主体性が極めて高い食事療法とストレスマネジメントを第一義におく私のオンライン診療は主体性サポート医療としての機能を果たしやすいのではないかと考えています。

逆に言えば、従来型医療(病院医療)を踏襲する形のオンライン診療ではまず間違いなく受動性の高い医療が提供され続けることになるであろうとも思います。

では私のオンライン診療で受動的医療にならないようにするためにはどうすべきか。患者さん自身に盲信しないスタンスを持ってもらうことが一番重要ですが、

それは私がコントロールできる課題ではないので、私の課題としては私自身が私のやり方を強く勧めない、あくまでも自分のスタンスを提示するに留めるということになるのかなと思います。

しかし、私自身は患者さんによくなってもらいたいから強く勧めたい気持ちが生まれます。この辺りは大変ジレンマですが、糖質制限がよいと思っても勧め過ぎると相手に引かれてしまうという構造とも似ています。

強く勧めたい気持ちをぐっと抑えてさりげないサポーターに徹すること、そうやって患者さんに選択の余地を残し続けることが、主体的医療を展開していくためのコツなのではないかと私は考える次第です。

たがしゅう

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