オンライン診療に関する政府の有識者会議の動向を見ていますと、
「オンライン診療は対面診療の補完的な役割」という前提で議論している風潮が強く感じられます。
私はオンライン診療はそういうものだと位置づけるべきではないという主張を繰り返しているのですが、
その一方で真意がなかなかうまく伝え切れていない部分があるようにも感じています。
オンライン診療は対面診療とは別の医療ニーズを満たす診療形式だというところまでは言えても、
じゃあ、オンライン診療とは一体何なのだと、対面診療とどう違うのかということを端的に説明できなければ、
従来の医療のイメージが強固に定着してしまっている人に対してオンライン診療を受け入れてもらうことはできないでしょう。
そこで考えました。私が考えるオンライン診療を一言で表現するならば、
「もつれた糸をじっくりと解きほぐしてもらうような医療」です。
この言葉には様々な意味が込められています。
一つには「①オンライン診療は救急の医療ではない」ということです。
もつれた糸はそんな急にときほぐすことはできないことからもそのイメージは伝わりやすいのではないでしょうか。
強いてこのたとえで救急医療を当てはめるなら、糸がもつれたまま強引に引っ張ったり、ハサミで切ったりする行為に該当します。
いよいよ縮れ込んで元に戻せなくなるくらいであれば、そういう対処法が意味を持つこともあるとは思いますが、
少なくともオンライン診療はそういう類いの医療ではないということです。
次に「②オンライン診療では解決方法が一方的に提供されるわけではない」という特徴があります。
オンライン診療は、糸ほどきのスペシャリストのような人間が、相手が何もしなくても勝手にほどいてくれるような行為ではないのです。
もしもオンライン診療で何かしらの薬を処方して、患者側に何の努力も要求しないで解決を目指しているようであれば、
それは私の考えるオンライン診療ではなく、まさに「対面診療の補完的役割」としてオンライン診療をみなしてしまっていると思います。
私は患者自身の糸のほつれは患者自身にしかほどけないという立場です。なぜならば手がそこまで届かないからです。
だから医師ができることはほどき方を教えたり、ほどきやすくなるための環境を整えたりすることであって、
直接的に医師がほどく行為を行うことはできないのが私の考えるオンライン診療です。
もっと言えば、対面診療で直接触れられる環境であっても、患者さんの糸ももつれはほどくことはできないと私は考えています。
このことをたとえるのであれば、糸をほどくのに絶対に必要な鍵を持っていない人間が、あれこれと手をかけて余計に糸をもつれさせてしまっているような状況だと思います。
そして最後に「③オンライン診療は患者自らの主体的な治療行動を支える医療」だということです。
ここが対面診療との最大の違いだと言っても過言ではないかもしれません。
病院という場は言わば、「相手に身を委ねる場」です。
オンライン診療では、「自分が生活している場」に医師が入り込むという点で在宅診療とも似ているわけですが、
在宅診療でさえ、「医師が来てくれている」という安心から身を委ねやすい状況にあると言えます。
しかしオンライン診療の場合は、そこに医師はいません。従って、基本的に自分が頑張らなければならないという主体性が刺激されやすくなります。
その意味では対面診療に比べると安心感は少ないかもしれません。
しかしオンライン診療にはその分、「いつでも医師とつながれる」という別の安心感があります。
迷った時にはいつでもアドバイザーがいる、その環境の中で患者自身が主体的な治療行動に挑戦し続けることができる、
これが従来の医療ではカバーできなかったオンライン診療ならではの利点だと私は考えています。
糸ほどきの謎解きパズルに挑戦する際に、困ったらいつでもヒントが与えてもらえるような状況にたとえられるでしょうか。
自分一人でパズルを解かなければならない状況や、パズルの専門家的な人が勝手にパズルを解いていって次第に自分で解く力が衰えていく状況に比べて、
難題を自分の力で解けるようになっていく見込みが高いのではないかと思います。
とは言え、従来医療の形式に慣れてしまっていると、患者自身にかかる負荷は大きい医療だとも言えますね。
わかりやすい答えを与えてもらえずに、考えるように求められるわけですから。
しかしこの構造改革にこそ、難題を解決するための最大のポイントがあると私は考えています。
ほどけぬ糸に苦しんでいる人は是非、オンライン診療を使ってほしいと思います。