オンライン診療だけでは十分に貢献できない

オンライン診療医になってはや3年が経ちます。

これといって何か大きなことを成し遂げられたわけではありませんが、

実際にやってみて思ったことがあります。

 

それは、今のままではオンライン診療で社会貢献をすることは難しいということです。

少数ながら私を頼ってオンライン診療を受けに来て下さる方がいらっしゃいます。

私はその中で精一杯の分析と考えうる主体的な治療法、気持ちばかりの投薬サポートを提案します。

そうした患者さんとのやり取りの中で思うのは、「病気がこじれた状態から自分を変える作業は極めて難しい」ということです。

またそのこじれを解消することに私はあまり貢献することができていないということです。

 

病気がこじれていない状態においては患者さんはオンライン診療に限らず、医療にアクセスしようとは思いません。

医療にアクセスしようと思うころには、もうかなり病気はこじれた状態にあって、

その状態に私が精一杯の声を届けようとしてもなかなか届かないというジレンマがあるのです。

1対1の対人援助の限界も感じながら、複数人で支える対話も取り入れようと試みていますが、

これもまた広めようとするのにまだまだ大きなハードルを感じています。

結局、オンライン診療だけでは構造的に患者さんの助けになりにくいという実態に気づいてきたということなのです。

 

私はオンライン診療が現代医療の閉塞的な状況に道を切り拓く大きな鍵になると感じて、

この世界に飛び込んで暗中模索で突き進んできました。

幸か不幸か、コロナ禍の後押しもあって、少なくとも制度上は障壁なくオンライン診療を行える環境にもなりました。

しかしその結果分かったことが、皮肉なことに「オンライン診療の限界」でした。

私は医療を変えていくためにオンライン診療ではない次の一手を打つ必要性に迫られています。

 

一つ思うのは、病気がこじれる前に主体的医療の考えに触れる機会を増やせないかということです。

なぜならば、今のままでは私と患者さんが出会うのが、こじれた状態になってからの可能性が高いからです。

少なくとも私から社会に出向いていく必要があります。でもそこには制度、文化、国家の壁が立ちはだかっており、私の主張がスムーズに受け止められにくい状況があります。

だから望まない人には無理に進めない。でも望む人には一緒に考える機会を提供できる。

オンライン上に年齢を度外視した学校のような空間を作り、そこでの活動を盛り上げていけばいいのではないか、

その空間が楽しそうであれば、時間はかかれど少しずつ主体的医療の輪が広がっていくのではないか。

私の発想は今そこに向かいつつあります。

 

今後私のオンライン診療活動は必要最小限に縮小し、

かつ主体的医療オンラインスクールの開設に向けて、私の考えを体系的に整理していく必要があります。

オンライン診療へ挑戦した結果がオンライン診療の縮小へ進むというのも皮肉な話ですが、

時には自分のやり方を否定しながら前に進むことも必要だと思います。

 

 

たがしゅう