コロナでもオンライン診療がいまいち広まらない理由

厚労省の会議で8月6日オンライン診療の初診解禁の時限措置がもう3ヶ月継続する方針が固まったようです。

新型コロナウイルスという予想外の存在に半ば強制的に促される形ではありましたが、

とにかくオンライン診療に注目が集まり続けているのはよい傾向だと思います。

ところが初診解禁されて以降、ここ数ヶ月のオンライン診療にまつわる状況を振り返ってみますと、

オンライン診療が非常にやりやすくなった状況であるにも関わらず、どうやらその普及具合は未だにいまいちである模様です。

私のような特殊な理念でオンライン診療に取り組んでいるクリニックであればまだしも、

一般的な医療機関でもオンライン診療が取り入れられてもあまり多くの患者さんが利用されていないという実情があるという話が耳に入ってきます。

その理由を考えてみますと、大きく2つのことが考えられます。

①慣れた環境から離れるのが難しい
②通常の診療の枠組みで捉えると、オンライン診療はどうしても片手落ちの医療に思えてしまう

①はオンライン診療がどうのこうのというより、人間の本質的な特徴だと言えるものです。

何事もそうですが、新しいことに挑戦しようと思える人は全体の1-2割程度で、8-9割の人達はその新しいことによって今までの自分の生活が変わることに不安を覚えたり、拒絶を感じたりするものです。

ヒトという生き物はそうやって集団の恒常性を保とうとしているので、ある意味でこれは仕方のない性質です。

とはいえ、1-2割の挑戦者が様々な場面で様々な新しいことに挑戦して世界が変わってきたことは歴史が証明するところですので、

もしもその新しい挑戦に人類として理があるものであれば、時間はかかれどもいつか必ず集団全体が新しい世界に移っていくことができるはずです。

ところが②に関しては、オンライン診療の普及を阻む大きな要因となってしまっているように私には思えます。

というのも長らく医療というのは、「優れた者が苦しめる者を救う」という枠組みの中で理解されているものでした。

ここで言う「優れた者」とは「医師」で、「苦しめる者」は言うまでもなく「患者」のことであるわけですが、

この枠組みの中で「オンライン診療」を捉えると、「優れた者」が「苦しめる者」から得られる情報が少ないので、

その枠組みで医療を理解する限り、オンライン診療はどれだけ工夫をこらそうと「対面診療に比べて質の低い医療」という感覚が拭えないことになります。

そこに来て①の慣れた環境から変わりたくない、が加わればそれはもう質の高い医療を求めて今までと同じような対面診療を希望する患者が多数派になるというのも無理もない話です。

しかし私は医療の枠組みを、「優れた者が苦しめる者を救う」という枠組みで捉えるのではなく、

「優れた苦しむ者が他人の力を借りて乗り越える」という枠組みで捉え治すべきだと考えています。そうすると「オンライン診療」は一気にその価値が見出されます。

「優れた苦しむ者」たる「患者」自身の中にもともとすべての情報は詰まっています。「医師」という他人が限られた手段の中でその情報をできるだけ多く引きだそうとするのではなく、

すべての情報を持つ「患者」自身が見失った方向を取り戻すために、あくまでも「他人」である医師の情報や分析の力を借りて軌道修正すると、

そうすれば医療はその潜在能力を最大限発揮することができるようになると私は考えています。

この作業は、医師と患者が対等な関係、いやむしろ患者が医師よりも優位な状況にある時に成立しやすいです。

というのも、病院という環境で、医師という権威的な存在を目の前にした際には、そのプレッシャーからこの枠組みで医療を実践することのできる患者はそう多くありません。

自分を保つために「場」というのは大変重要です。病院診療の場よりも訪問診療の場において患者が自分を出すことができて、病態も快方に向かいやすい傾向があるのもそのためだと思います。

つまりオンライン診療が普及するためには、皆が医療の枠組みを受動的医療から主体的医療へと変えて理解し、その真の価値に皆が気づく必要があると思います。

これがなしえない限り、オンライン診療はきっとこのまま低空飛行のままであろうと思います。

せっかく出た医療改革の蕾がしなれてしまわないように、私は情報発信という形でこの蕾を大事に育てていきたいと思います。