中途半端な情報を捨てるスタンス

先日、とある患者さんに対してオンライン診療を行っている時に、

患者さんが私が身体の動きを診られていないことに対して不安な気持ちを訴えられる場面がありました。

コロナ禍の影響で、オンライン診療に取り組み始めた多くの医師達は、オンライン診療という環境を「情報が制限された対面診療」という枠組みで理解し、

情報が制限されている中で少しでも情報が得られるようにするために情報通信機器の先で患者さんに何らかの運動を行うように指示し、

その映像情報から診察所見を推定して診断を考えるというようなアプローチを取っていると思いますし、

患者さん側も、多くの方がそのように医師に自分の情報を提供すればするほど、良い医療につながるはずだと考えているだろうと思います。

だからこそ、冒頭の患者さんも私が身体の動きを見ていないことに不安を覚えたのではないかと察することができるわけですが、

私のオンライン診療に対する考え方は少し違います。「情報は多ければ多いほどよいのではなく、中途半端な情報はない方がマシ」という考えの下、

オンライン診療で入手する情報を意図的に選別しています。

例えば、パーキンソン病の患者さんに対して、普通の医師であれば身体の硬さの所見を得るために患者に触る必要があると考え、

それができないオンライン診療では、その代用として患者に何らかの動作を指示して、その動きのぎこちなさから身体の硬さを推定するということをやっていると思いますが、

これは情報の精度として非常に不確かです。脱力感があって動きがゆっくりなだけかもしれませんし、硬いかどうかはそれこそ触ってみないとわからない状態です。

その場合、私は「身体が硬いかどうか」という情報を得ることを良い意味で諦めます。その代わり私が集中的に取る情報は当然問診からです。

問診であれば、対面であろうと、オンラインであろうと得られる情報の精度は変わりません。そこに心血を注ぐのです。

例えば、身体の硬さが分からないのであれば、「1日の中で動きやすい時間と動きにくい時間がどのような割合で存在しているのか、動きにくい時間帯には具体的にどういう状態となっているのか、一つも足は動かせないのか、それとも少しは動かせるのか…

そんな風に今患者さんのおかれている状況、あるいは身体の中で起こっている現象が推測できるような情報を集めます。

その上で、それに対して自己で実践できるアプローチ、あるいは症状を緩和させる比較的安全性の高い薬を郵送するアプローチで対応しているのです。

ただこのようなオンライン診療に対する私のスタンスをあらかじめ患者さんにわかっておいてもらわなければ、

私が合理的だと思ってオンライン診療にて行っている行動が、患者さんにとってもれば不満の残る診療内容となってしまう可能性もあるということを考えさせられました。

とは言え、こうしたスタンスを毎回明言しつつオンライン診療に当たることは時間の制約を考えても困難かつ非効率なことなので、

ホームページやブログなどを通じて私のスタンスをどんどん情報発信していき、

その上でスタンスにマッチする患者さんを診て、互いに相性のよい医師と患者の間でのオンライン診療に集中していきたいと私は考えています。

たがしゅう