「医者ならば責任のある発言を」という意見を聞くことがあります。
それを発言する方の「専門家に間違いは許されない、だからこそ素人は安心して専門家に身を委ねることができるのだ」という気持ちが透けて見えるようです。
でも間違えない専門家なんてこの世に存在するのでしょうか。
あるいは医者でなければ発言に責任がなくてもいいのでしょうか。
今の医療は医者や科学をあまりにも絶対視しすぎだと私は感じています。
それは自分が責任を負いたくないからという現実逃避の気持ちから言っているわけでは決してありません。
医者も人間です。間違えないように努力していても間違えてしまうことは医者でない人と同じくらいありえることです。
にも関わらず「医者であればいっぱい勉強したのだからそう簡単に間違われたら困る」という認識が世間には厳然としてあるように思えます。
勿論気軽に間違えるのはよくありません。誰でも間違うことは嫌だから同じ間違いを避けるように行動するはずです。
問題は間違いを間違いと認識しない心の方に問題があるのではないでしょうか。
それは勉強の量が多ければ解決できるという問題ではありません。むしろ多く勉強したプライドが、間違いを間違いだと認めにくく悪影響をもたらしさえしうると思います。
従って、医者だからといって、専門家だからといって絶対間違いない意見を求めるのは、そもそもが無理難題だと私は思います。
また糖質制限を通じて私が気づいたことは、科学的な知識を駆使して全ての人達に恩恵をもたらしうる最大公約数的な方法論を追求することはある程度できるけれど、
いくら科学を駆使しようとも、全ての人に当てはまる唯一無二の治療法を提示することは困難だということです。
生物多様性の中において例外は必ず存在するということ、そうでなければ一定の治療介入によって、もしもその方法に重大な欠陥があった場合に生物が絶滅してしまいかねないからです。
ということは「医師ならば責任のある発言を」というものの、一定の確率で例外に突き当たるリスクはあるわけだから、
科学的な知識を駆使しつつある程度妥当性のある選択肢を提示することはできるけれども、
それが絶対に予想通りの好影響をもたらすということはどんな医者も言えないはずです。
それなのに断定的にものを言う医師がいるのだとすれば、それこそが不誠実な態度ではないかと思います。
医師は間違うこともある、生物を相手にする以上絶対正しいという方法は存在しない、
だとすれば患者は医師の言うこととどのように向き合えばよいのでしょうか。
それは医師の言うことを盲信せず、納得できる内容かどうか自分の頭で考えるということに尽きます。
絶対が存在しないのであれば、いつでも考えを変化しうる柔軟性を保ちつつ、
選んだ行動が想定と違う結果をもたらす時には、その行動を見直してまたどうすればよいかを自分の頭で考えていけばよいのです。
責任という観点から言えば、自分の頭で考えてその行動をとることを選んだ患者と、よかれと思って患者の状態改善の選択肢を提示した医者とで責任は半分半分ではないかと私は思います。
逆に言えば「医者が治療の全責任を担うべき」と考える患者は、自分の頭で考える行動を放棄している傍証です。「素人だからわからない」を免罪符にして。
判断するための知識が少なくて医者に判断を委ねようとも、選択した治療行動に伴う結果を最終的に引き受けることになるのは自分自身です。
間違うかもしれない他人に全ての判断を委ねれば、悪い結果がもたらされうるというのはある意味で当然の話です。自分が判断を放棄しているのに他人が全責任を負うのはおかしくないでしょうか。
悪い結果を避けたいのであれば、自分の判断が少しでも外れなくて済むように自分で知識を仕入れたり、誰かの助言を求めたりして、自分の判断能力を成長させていくより他にないはずです。
私はその患者さんの希望に合わせた私が考えうるその時点で最善の治療を模索し、提案します。その分の責任は負うし、トラブルが起こらないよう最善を尽くします。
それでもどうしても起こるかもしれないトラブルが起こった時は被害が最小限になるよう最善を尽くします。
だけど全責任までを負うことはできません。全責任を負ってもらわないとイヤだという人は私の所には来ないでほしいです。そういう人は従来の病院医療の指示に従ってもらえればと思います。
「医者が全責任を負うべき」という世界で医療を提供するのは私はもうごめんです。
責任を互いにシェアし互いの選択を尊重し合える世界で医療を行うために、私は自由診療でのオンライン診療を選んだのです。
たがしゅう