声の上げ方

日本のオンライン診療業界としては「オンラインでも初診から利用可」という革新的な変化が先日発表され、

2020年4月13日に国で正式に認められるものとなりました。

あくまでも新型コロナウイルス感染症の拡大が収束するまでの時限措置ということではありますが、

もはや不可能だとさえ思えた変化が現実のものとなりました。

その背景には関係者の様々な努力や働きかけがあったと思うのですが、その一つが署名活動でした。

その署名活動は私が起こしたものでは当然なくて、オンライン診療業界におけるオピニオンリーダ的な存在の方々が行ったものでした。

オンライン診療の普及を望む私は勿論賛同し、その事が直接的に関与したかどうかわからない部分はあるものの、確かに現実の変化へ導くこととなりました。

これがもし、署名活動を行ったことがこの革新的な変化へつながったのだと仮定すれば、

声の上げ方には大きく2種類あるのではないかと気付くことができます。

それは①体制に届かない声の上げ方と②体制に届く声の上げ方です。

具体的には①は「井戸端会議、野次、新聞への投書、SNSでの情報発信(多くの場合)」などで、②は「署名活動、書籍、論文、SNSへの情報発信(影響力の大きい人の場合)」などとなるでしょうか。

「①が重要で、②は重要ではない」という話ではありません。どちらも重要な要素です。

SNSの部分で比較するとわかりやすいように、重要な違いは発する媒体そのものではなく、「どれだけ有効な共感者を数多く集めることができるか」という点です。

正直言って私は、世の中にはどれだけ声を上げたって変わらないことがあると、半ば諦めにも近い感覚で世界を眺めているところがありました。

毎日のようにブログを書き、情報発信を行っていたとしても、発信力の少ない自分の文章が体制に届くはずもなく、

グループや会社を変えるだけならまだしも、法律とか国を変えようというには自分の持っている力はあまりにも小さく、

かといって誰かに託そうにも、政治の世界に自分と全く同じ考えの持ち主はいないわけだし、

だからといって自分自身がその立場になろうにも経済的にも人脈的にも現実的な見込みはないわけです。

どうせ変わらないものを嘆いていても仕方がないのだから、不運だったと割り切って不満のある世の中に上手に適応していこうという考えに陥ってしまっていました。

その思考はそれはそれで一つの処世術だとは思うわけですが、

今回のような大改革を現実にまのあたりにして、完全なる諦めに近かった感覚に少しずつ希望が混ざっていきました。

要は、どんな声を上げていくにしても「共感が得られるような声の上げ方」をしていく必要がある、ということです。

考えてみれば当たり前のことかもしれませんが、どんなオピニオンリーダーも最初は共感者の少ない時代があったはずです。

そこから共感者を集めるために筋の通った発言を繰り返すこともそうですし、その声を自分のテリトリー以外にも広げていく努力をすることもそうでしょう、

一つひとつの活動はそれだけでは体制に届く由もない小さなものかもしれません。

しかしその活動に合理性があり、活動の規模が大きくなっていけばいくほど、その声は体制に届くようになっていくという流れです。

要するに①から始まって②へとつながっていく流れが大事なのであって、自分が行っている①も②に向かってつながる道だと希望しながら声を発し続ける必要があるのではないかと感じた次第です。

もう一つ重要な点は、①の時点では既存のルールに必ずしも従わなくてよいという点で、常識に縛られない様々な考えを挙げることができるわけですが、

②の段階になると、ある程度既存のルールに従うことが要求される形になってきます。なぜならば体制は長くそのルールで秩序を守ってきた側面があるからです。

つまり体制に声を届けるためのもう一つのポイントは、「既存のルールといかに折り合いをつけるか」という点です。

今回のオンライン診療の制度改正という例でみれば、あくまでも保険診療制度のルールにのっとる形でその合理性を評価してもらう働きかけ方が必要だったということでしょう。

もしもその制度自体をひっくり返したいと考えたとしても、一足飛びにそのプロセスを進めようとしても跳ね返されるだけだと思います。

まずは既存の制度やルールにのっとった形での変革を働きかける、その変化が起こった後に既存のやり方の問題点が明らかになるような現実の問題を指摘し続けていく、

そのことについて情報を発信し、共感を得ることができればまた新たな変革を起こすムーブメントへとつながっていくかもしれません。

要は変えようとする対象が固ければ固いほど、絶大なる共感をベースに既存のルールにのっとりながらじっくりと時間をかけて変化を促していく必要がある、という風に私は感じた次第です。

今回の考察が誰かが何かを変えたい時の参考になれば幸甚ですし、

私自身もその心づもりで人生の活動を続けていきたいと思います。

 

たがしゅう