誰かから謂れのない陰口を叩かれて傷つけられた経験のある人はきっと多いのではないかと思います。
特に現代社会においてはSNSというツールを通じて匿名で情報のやりとりが出来るようになったため、この陰口はさらに悪質なものへと変化しました。
陰口であれば基本的には本人のいない所で発言されるので、
本人の耳に届くとすれば別の誰かを通じて間接的に伝わるということがほとんどだと思いますが、
SNSの場合は本人に対して自分の正体を明かすことなく、安全圏にいながらにして直接攻撃することが可能となってしまいます。
これは人為が生み出したとても卑劣なコミュニケーション法だと言えるのではないかと思います。
人為によって生み出された歪みは人為によって修正する必要があります。
私も少なからずブログなどでの情報発信を通じて名前も顔も知らない人達から叩かれる立場にある人間です。
本日は匿名の人からの謂れのない罵詈雑言を受けた時に対して、私がどのように対処しているかをまとめてみます。
まずは腹が立つこともあるのですが、基本的にはスルーのスタンスを貫きます。
よく言われることですが、そうした攻撃をしてくる人達はどういう形であれ相手が反応してくることに対して非常に喜びます。
和解などを求めようとしないことです。そもそも論理的な納得など相手は求めておりません。
逆に言えば相手が名乗り自分の立場を明らかにし、なおかつ礼節を保った形で自分のことを批判してきた場合は、これは応じる必要があります。
自分の批判された点について明確にし誤解がないか、あるいは自分が間違っているのかどうかを検証し直す必要があります。
その場合も途中から罵詈雑言、誹謗中傷が混じってきた場合は、たとえ論理が合っていたとしても私は相手をしないようにします。
罵詈雑言、誹謗中傷の時点で論理の有無に関わらず冷静な議論など不可能であるからです。
逆にこちらは同じような罵詈雑言を絶対に用いないように心がけることです。
非暴力・不服従の思想で有名なマハトマ・ガンディーのように何があっても暴力を振るわないという精神に通じると思うのですが、
私は罵詈雑言・誹謗中傷という言葉の暴力は絶対に使いません。
使えば私が同類の人間と見られ、結果的に私自身がその暴力の儀性者となってしまうからです。
言い換えれば罵詈雑言・誹謗中傷を言われ続けていても、そんな事を言う人達は言えば言うほど信用を失っていくということを心ある人なら必ずわかるはずです。
暴力は形を変えて自分の身に跳ね返り、悪い意味での孤独を生み出し、やがて言った本人そのものを苦しめていきます。
そう思えば、数々の罵詈雑言にも耐えられるのではないかと思うのです。
もう一つは罵詈雑言を言う側にしてみれば快感があります。
さらに「そうだそうだ」と援護射撃を受ければ、なおの事快感は上昇します。
そうやって快感が繰り返されればさらにヒートアップしていき、罵詈雑言を受ける身からすれば、この流れは一生終わらないのではないかという気がしてくるかもしれませんが、
その流れはいつか必ず終わります。なぜなら感情の法則と呼ばれる法則があり、注意していれば感情は増幅するけれども、注意を逸らせばその感情は自然と山なりに収束すると言われています。
いくら快感があろうとも永続的に注意を罵詈雑言に向け続けることは困難ですので、いつかその流れは治まるというわけです。
罵詈雑言を言う人達にも人生があり自分達の生活があるわけですからずっと罵詈雑言を続けていくわけにもいかないはずです。
これは陰湿ないじめを受けている人達にも当てはまることだと思います。
「因果応報」と言えば眉唾に思えるかもしれませんが、
私はこれを信じて、悪意はじっと耐え抜きたいと思います。
たがしゅう