ストレスマネジメント講座⑬ 認知行動療法

同じストレッサー(ストレスとなる要因)を受けても、誰もが同じストレス反応を起こすとは限りません。

例えば、プレゼンテーションを控えていて「必ず成功しなければならない」と考えている人は、

「時には失敗することもあるだろう」「80%の力が発揮できれば合格点だ」と考える人に比べて、より大きなストレスを感じることでしょう。

この例からもわかるように、人が受けるストレスはそのストレスの内容や種類によってだけ決まるものではなく、

そのストレッサーをどのように解釈するかという受け手側の考え方による部分も大きいということがあります。

その受け手側の考え方の中に無意識の問題があると、知らず知らずのうちに自分でストレスを大きくしてしまうことになりかねません。そのようなことを引き起こす考え方を「認知の歪み」といいます。

認知の歪みには大きく9つのパターンがあるとされています。

1.根拠のない決めつけ
 証拠が少ないままに思いつきを信じ込むこと
2.白黒思考
 灰色(あいまいな状態)に耐えられず、ものごとをすべて白か黒かという極端な考え方で割り切ろうとすること
3.部分的焦点づけ
 自分が着目していることだけに目を向け、短絡的に結論づけること
4.過大評価・過小評価
 自分が関心のあることは拡大して捉え、反対に自分の考えや予想に合わない部分はことさら小さく見ること
5.べき思考
 「こうすべきだ」「あのようにすべきではなかった」と過去のことをあれこれ思い出して悔やんだり、自分の行動を自分で制限して自分を責めること
6.極端な一般化
 少数の事実を取り上げ、すべてのことが同様の結果になるだろうと結論づけてしまうこと
7.自己関連づけ
 何か悪い事が起きると、自分のせいで起こったのだと自分を責めること
8.そのときの自分の感情に基づいて、現実を判断してしまうこと
9.自分で実現してしまう予言
 自分で否定的予測を立てて自分の行動を制限してしまい、自分の行動を制限するものだから、予測どおり失敗してしまう。その結果、否定的な予測をますます信じ込み、悪循環に陥ってしまうこと

こうした認知の歪みに気づき、そうではなくて別の方向から事実を捉えなおすことを適応的思考、あるいはリフレーミングと言います。

このように問題となる行動に焦点をあて、行動・気分・思考についての分析と実践を行い、認知の歪みをリフレーミングしてストレスを軽減し、その成果をモニタリングする治療のことを「認知行動療法」といいます。

糖質制限界隈でもこの「認知の歪み」はよく見られるので、おおいに参考になるのではないでしょうか。

1.糖質制限は危険と週刊誌に書かれていたことを信じ込む
2.糖質制限はよい、悪いの両極で考え、その間の捉え方をしようとしない
3.血糖値の安定化ということに目を奪われ、血糖値が変動することは即ち悪であると捉えてしまう
4.糖質制限でよくなる事例ばかり信じて、よくならない事例を無視してしまう
5.専門医の言うことを信じるべきではなかったと悔やむ
6.糖質制限で耐糖能が低下した事例があるから糖質制限とは耐糖能が悪化する治療法だと決めつける
7.糖質制限中に下痢をしたら糖質制限のせいで起こったと思いこむ
8.気分が落ち込む出来事があった時、糖質制限をしているせいだと思いこむ
9.糖質制限をすれば食費がかさむかもしれない、肉をたくさん食べないといけないかもしれない、それができないと生活が苦しくなっていくかもしれないと悪い方に考えてしまい、実際にストレスを受け続けて体調が悪くなってしまう

大切なことは、まずこれが「認知が歪んでしまっているのではないか」と気付けるかどうかです。

問題に気づかないと対処行動は絶対にとれません。

自分はもしかしたら間違っているかもしれないという謙虚な姿勢を忘れないことが、

認知行動療法の第一歩なのではないかと私は考える次第です。

上記の認知の歪み、どうすればリフレーミングできるでしょうか。

たがしゅう

「ストレスマネジメント講座⑬ 認知行動療法」への2件のフィードバック

  1. たがしゅう先生、こんばんは。

    ALSのブログを拝読しました。
    (ブログへのコメントの仕方がよく分からないので、こちらにコメントします。)

    人工呼吸器をのせるまでは、私もたがしゅう先生と同じように、細胞の酸化ストレスを最小限にするために、食事にもっと気を配ると思います。

    呼吸が難しくなってきて、人工呼吸器をつけなくてはならなくなったら、不謹慎かもしれませんが、私は安楽死を選びます。

    今の日本では安楽死は認められていませんから、方法を必死に探すでしょう。

    全身が動かせない、自発呼吸も困難、でも意識はしっかりしている、という状態の苦しみは、想像するだ
    けで苦しくなります。

    「生き方」に目を向けられがちですが、「死に方」も大切だと思います。

    医療に関わると、「死に方」に大きな差が出来てしまうのを、今まで何度も目にしてきました。

    でも、どうにも出来ない。

    ああ、そのための意思表示、主体性を持つ事ですね。まずは、自分からですね。

    なんとも、まとまりのない文章になってしまいました。

    お読みいただき、ありがとうございました。

    追伸
    「本当のジャクリーヌ デュプレ」という映画を観て初めてALSを知りました。映画の内容はさて置き、ジャクリーヌデュプレ の エルガーのチェロ協奏曲は凄みがあって鳥肌が立ちました。

    • いわき市 さん

      コメント頂き有難うございます。

      なるほど、理解できます。
      確かに苦しくなっていけば、私もその時点で安楽死を希望したくなるかもしれません。

      ただ現時点で私は自分で死の時間を決める積極的安楽死には否定的です。緩和医療は希望しますが、自分が死ぬの時間はなるべく自然の選択に任せたいと思っています。

      大事なことは、どれが正解ということではなく、自分の頭でしっかりと考えて、その考えをいつでも変える余地を持っておく、ということではないかと私は思います。

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