医師へ情報をどこまで与えるかは患者の自由

私の考えるオンライン診療はプライバシーを侵害しません。

先日も緊急避妊薬に関する記事を取り上げたばかりですが、従来型の医療は診断を確定的なものにするために、

患者側のあらゆる情報を集めようとするので、時には性的なことも含め患者さんのプライバシーにかなり踏み込むことがあります。

けれど誰しも人に話したくない事だってあると思います。しかしその話したくないことの中に診断の根拠があるかもしれないと、

現代医療はその不可侵領域へ踏み込むことを確定診断のためだと正当化さえしようとします。

相手からその不可侵領域の情報をいかに引き出すかがプロの腕の見せ所だと誇る人さえいると思います。

しかしそれは全て患者が弱い立場にあり、医師が強い立場にある状態で繰り広げられる医師中心型の医療の構造であるが故だと思います。

勿論、それも医療の形もひとつであるとは思います。ですが今は医療の形がそれしか選べないという所が問題だと思っています。

患者中心型の主体的医療であれば、患者が医師に話してもよいと思える情報だけを伝えます。

実際には医師に話していないけれど、実は心の中で悩みの種となっている出来事があるかもしれません。

しかし医師は与えられた情報の中から患者さんの解決策を必死に考えることしかできません。隠された情報があればあるほど、適切なアドバイスから遠ざかるかもしれません。

けれど、どれだけ相手の情報を与えるかという主導権は患者に委ねられていますし、これではまともなアドバイスがもらえないと患者が感じれば追加で医師に自分のプライベートな部分を語るということをしてもいいわけです。

一方でもし全ての情報を与えなかったとしても、物事には全てに通じる本質的なアドバイスというものがあります。哲学カフェを運営しているとその辺りがよくわかります。

与えられた情報のみからでも医師が患者の本質的な問題に気づくことができて、それを解決する本質的な助言を提示することができたなら、

患者さんはその助言から、実は医師に話していなかった本当の悩みについてもその助言を下にして自分で解決の方向へと導けるかもしれません。

このような診療は診断というものにこだわらないからこそできる業です。

私は命に関わる場面さえ見逃さなければ、診断にはこだわらなくてもよいと考えています。

逆に言えば、命に関わるような場面に至るという事はそれだけ自己治癒力が全く機能しなくなっている、もはや主体的医療の流れに乗るには遅すぎる段階にあるということだとも言えます。

主体性を放棄し続けたその先に自己治癒力の不可逆的機能低下があると私は考えています。

だからこそ患者がどこまで相手に情報を与えるかという自由は保証したいし、

その事によって本人の主体性が芽生えるのを邪魔しない医療を私は展開していきたいと思っています。

たがしゅう

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