訪問診療とオンライン診療は真逆のようで類似性があります。
最大の共通点は「患者・家族の希望に応えようとしている」という所にあります。
訪問診療は「家に帰りたい」とか「通院できないから医師に来てもらいたい」などのニーズに応える医療だと言えます。
一方でオンライン診療に対する患者・家族側のニーズも「家に帰りたい」「通院できないから医師に来てもらいたい」と共通しうるわけですが、
訪問診療とオンライン診療の違いは、対面診療とオンライン診療の違いに通じるところがあります。
要するにオンライン診療は訪問診療に比べてできる事が限られてくる、ということです。
特に訪問診療においてしばしば問題となる看取りの問題は、オンライン診療でどこまで迫ることができるのかまだ未知数だと思います。
厚生労働省の定めるオンライン診療ガイドラインの最低限遵守すべき事項を守れば、ビデオ通話でのやり取りは法的に「診察」として認められることになっています。
ただオンライン診療で死亡診断までが認められるかどうか、私は現時点でわかりません。オンライン診療は在宅の分野でも保険診療の中で認められていますので、もしかしたら実例があるのかもしれません。
実際的には、例えば現場に訪問看護師さんがいて、心拍や瞳孔の観察を一部代行してもらいながら死亡を診断することは可能だと思います。
訪問看護の業界とオンライン診療の連携が図れれば、それで救われる患者さんや御家族もきっと多くいらっしゃるであろうと思います。
「訪問診療はオンライン診療では無理」などと可能性を自ら狭めずに、
出来るようにするためにはどうすればよいかを考え続けたいと思います。
たがしゅう
たがしゅう先生、こんにちは。
看取りといえば、今年三月のワテラスコモンホールでの先生の症例発表がずっと気にかかっています。
症例発表後、たがしゅう先生はしゅんとして意気消沈されているように見えました。
けど私は、この患者さんと家族は幸せだなぁという印象をうけました。
•難しい症例にもかかわらず、たがしゅう先生が悩みながらも親身になって寄り添ってくれた。
→今時、患者さんの事をこんなに親身に考えてくれる医師がいるのか!という驚き。(多分、会場にいた医師は、息子さんの意思を尊重したいけど、肝腫瘍7cm、肝硬変、肺転移、とリスキー過ぎ!引き受けたくないな。と思っていたと感じます。)
•患者さんには、「息子の言うようにします」と言える家族がいた。
→しんどい時に甘えられ、頼る事が出来る家族がいることは幸せだと思う。
•息子さんの希望に沿うようにたがしゅう先生が心を砕いて治療にあたってくれた。
→勤務医であるたがしゅう先生が、あまり知られていない「ケトン食+VC点滴」を実施する為に、上を説得したり、段取りを整えたり、考えただけで気が遠くなります。
•自宅に帰って、会いたい人に会えて、最期は眠るように逝った。
→苦痛をあまり感じることなく最期を迎えられた。痛かったり、苦しかったりするのは、本人も辛いけど、周りの人も辛い。
•患者さんが最期の時、私達のお礼の言葉に涙を流した後、静かに目を閉じて静かに眠りについた。
→最期の時に、感謝の気持ちを持ち、しんどいのに言葉にのせて家族に伝えられるって、なかなか出来ない事だと思います。
病院での看取りには「なんで、この方はこんなひどい死に方をしなければならないんだ?」と、途方にくれる時があります。苦痛の有無とか、不必要な延命とか医師の匙加減で未来が大きく変わってしまうのを多々見てきました。
正解はないかもしれませんね。
ただ、このお母さんの最期の穏やかさに、たがしゅう先生の治療はこれでよかったのではないか、と私は思いました。
このお母さんもきっと、田頭先生ありがとう!先生に出会えて良かったって思っていると思います。
って、たがしゅう先生の症例発表の後に先生にお伝えしたかったのですが、会場は医師だらけだし、自分東北訛りあるし、勇気もなかったしで、今になってしまいました。
長文を読んでいただき、ありがとうございました。
いわき市 さん
コメント頂き有難うございます。
3月の症例発表の時に御参加下さっていたのですね。貴重なご意見を頂き深謝申し上げます。
糖質制限礼賛ばかりがなされる中で、あえて厳しい現実に目を向けて今後に活かそうとするための発表てました。しかし会場からは私の対応への手厳しいご意見が主として上がり、思わず意気消沈してしまったのですね。
ただそれぞれの人達の中で糖質制限を考え直すきっかけとなってくれていれば私は十分です。糖質制限さえしていればそれで万全だ、で止まってしまうと私達が散々嫌う「思考停止」に私達そのものがなってしまっていることとなりますので。引き続き考え続けていきたいと思います。