在宅医療とオンライン診療における主体性の違い

前回、在宅医療とオンライン診療の「患者の希望になるべく応える」という共通点について触れましたが、

もう一つ、主体性という観点でこの両者の違いについて整理してみたいと思います。

患者さんの「こうしてほしい」という希望があってこその主体的医療であるわけですが、

「病気を治してほしい」という希望では主体性としては不十分です。

なぜならば病気とは、自らの行いによって引き起こされている側面がかなり大きいものなのであって、

「病気を(誰かに)治してほしい」だと、「自分は何も悪くないから、この得体の知れない謎の状態を、自分の手ではなく、あなたの手で何とか解決してほしい」という文脈が見え隠れするからです。

そう言い換えると「病気を治してほしい」という希望における主体性のかなりの乏しさが浮き彫りになるのではないかと思います。

ところが在宅医療の場合は「家に帰りたい」という希望がまずありきです。

なぜ「家に帰りたい」のかの理由は様々あるかとは思いますが、

大きなところでは「病院での治療が苦しくなってきたから」ですとか、「治るのが難しいと悟ってきたからせめて最後くらいは」といった想いが比較的多いのではないかと想像されます。

この「家に帰りたい」という希望、家に帰るという選択をするという意味では主体的ですが、病気と向き合うという意味では受動的です。

つまり主体性と受動性のバランスで言うと半々か、多くの場合主体性低めで受動的高めという感じの希望なのではないかと思います。

一方でオンライン診療における希望はどうでしょうか。

一般的なオンライン診療での希望は「受診に際して時間を確保するのが大変だからオンラインで対応してほしい」だと思いますが、

私が開業しようとしている個別性の高いオンライン診療の場合は、むしろその一番多いであろう希望には答えにくいです。

なぜならば自由診療で行うため保険が効かないので、ただ薬を出してほしい人にとってはいつもより莫大な金額がかかることになってしまうからです。

では私を求めて「たがしゅう先生に診てほしいから」という希望についてはどうでしょうか。

これは勿論、世界で私一人にしか答えられない希望なので是非希望を叶えたいと思うのですが、

実はここからさらに主体性を高めるために、「病気を治すために自分がすべきことを教えてほしい」という希望へ落とし込んでいく作業が必要だと考えています。

つまり「たがしゅう先生にみてほしい」のままだと、「私は何も悪くないので、たがしゅう先生の技術で何とか『病気を治してほしい』」という希望と、

「たがしゅう先生のスタンスに共鳴したので診てもらいたいのだけれど、具体的に自分が何をどうすればいいのかわからないので、それを教えてほしい」という希望とが混在している状況であって、

前者と後者では主体性と受動性のバランスが真逆と言ってもいいくらい異なるからです。主体性が高いのは後者だということは言うまでもありません。

きっかけは前者だったとしても、私との対話の中で後者へ希望がシフトすればいいと思いますし、

対話しても前者の希望のまま変わらず自分で行動する主体性の乏しい方だったとしても、私を求めて下さっていることには変わりないので、ひとまずは私のできる限りの対症療法を行いつつ、後者へ希望をシフトさせるタイミングを常に見計らい続けるでしょう。

少し内容が混み入ってしまいましたが、

要するに同じ「患者の希望になるべく応える」医療であっても、
(私の)オンライン診療は主に主体性高めの人達を相手にし、
在宅医療は主に主体性低めの人達を相手にする医療だ、
という整理ができるのではないかということです。

ついでに言えば、主体性がゼロに限りない医療が展開されているのが病院医療だと思っています。

病院で主体性を発揮しようにも、科学の名の下に一定の価値観の治療へのベルトコンベアに乗るだけで、

そこでさらに主体性を発揮してベルトコンベアから外れようとするのは社会の仕組み的に至難の業であるからです。

病院医療が真価を発揮するのは主体性の出しようがない急変時、すなわち救急医療の場が中心となるべき、というのが私の考えです。

「私が◯◯したいのを手伝ってほしい」

大きな主体性を持って始めるオンライン診療でうまくいくことも、そうでないこともあるでしょう。

うまく行かなくて主体的であることの困難さに耐えきれず、やっぱりいろいろなことを他人に任せたくなってしまうこともあるかもしれません。

けれど、どれだけ主体性が小さくなろうとも、そこに主体性がある限り、その希望に応える方向へ自分の最善を尽くすことができます。

主体性という観点から見ると、オンライン診療と在宅医療には連続性があるのかもしれません。

私が医師としてすべきことの大きなものの一つは、

患者さんが自分でさえ気づいていない潜在ニーズに気づかせて、

その希望を叶えるためにどうすべきかについて、患者さんを適切な方へ案内することであるように思います。

たがしゅう