「病気からの卒業」を理念に掲げる当オンラインクリニックですが、
その目標が達成できるとすれば、そのまま年を取り続けた場合にどうなるのでしょうか。
病気にならずに年を取り続けるのであれば、ずっとそのまま健康でい続けるのかという話にはならないでしょうか。
「形あるものはいつか壊れる」ので、いつまでも生き続けられることはできませんし、今ある身体の機能も時間経過とともに必ず機能が低下していくのは避けられない運命です。
しかし時間経過とともに機能が低下していく老化のプロセス自体は病気とはみなしません。
機能が低下する事は避けられずとも、低下した機能の中で健やかに生きていくことは可能であるはずです。
そう、私の目標通りの健康管理ができれば、理論上健康的なまま天寿を全うできるはずだと私は考えています。
それは必ずしも長寿とは限らないかもしれません。何を以て長いと判断するのかという議論もありますが、少なくとも本人の中での身体の機能を最も大事に使い続ける生き方にはなるのではないかと考えています。
そうすれば結果的に長寿と呼ばれる領域に行くことが多いとは思いますが、目的は長く生きることではありません。「よく生きる」ことです。
私は立場上、多くの病気を抱える高齢者の方々と診療を通じて接することがありますが、
病院という環境の性質上致し方ない部分はあるにしても、健康長寿と言って差し支えない人と出会う確率は稀です。
こうした人達は多かれ少なかれ、身体の恒常性を維持する事がうまく行っていないということだと思います。
その観点で言うと、私のオンラインクリニックはそうした身体の恒常性を歪める要因を是正することを目的にしていると言い換えることもできます。
身体の恒常性を維持するために大事な基本は、自分の心地よい感覚を大事にするということです。
動物であれば誰もが当たり前のように生きているはずなのに、人間だけはなぜそう素直に行動できないのかと言えば、言葉が生み出した価値観、固定観念、常識が存在するからです。
本当は今すぐ寝た方が気持ちがよいのだけれど、仕事があるから寝られないとか、
今あんまり食欲ないけれど、1日3食食べないと健康的でないから、我慢して食べるとか、
目の前に脅威はないから緊張する必要はないのに、人前で発表するプレッシャーという見えない概念によって何も目の前に脅威がないのに緊張し続けるとか。
これらは全て動物世界ではありえない不自然な身体反応です。
こうした不自然な身体反応を言葉や価値観で埋め尽くされた人間社会の中で是正していくためには、動物と同じ方策をとるわけにはいきません。それなりの適切な人為を加えて生きていく必要があります。
そのためのノウハウを学び、具体的な解決策を一緒に考えて、身体の歪みを是正する。
私のオンラインクリニックは、そんな健康を守るための再教育の場にしたいと考えています。
たがしゅう